以上の記事、まだまだ書きたい事はあったのだけれど・・・
書いてる途中に、私にさらなる苦しみ、悲しみが降りかかり、もう本当に壊れてしまい書けなくなってしまいました。
が、私はその爆弾のような出来事の中で、もう本当に死ぬしかないと思うような出来事の中で、確かに、はっきりと、「幸せになりたい」と言う思いが芽生えました。そしてそれを許されている、と言うより、亡くなった人たちは望んでいてくれたんだって、この胸に直に感じました。
寂しさ、会いたさは消えないけど、私は亡くなった人とのグリーフからは卒業出来たと思います。
蓋も必要なくなりました。
記事の中に、わかるわかる、同じ同じと言う事はあったでしょうか?
みんなまったく同じではないけど、愛する人との死別の悲しみには、いくつかは同じ思いがあると思います。
いずれ、グリーフケアの会を立ち上げ、グリーフに苦しむ方たちによりそう事が出来たらなと、そう思っています。